Японский перевод Дз. Киёси
Источник: : 神西清 訳『イーゴリ軍記』河出書房〈世界文学全集 第2期 第27巻 古典篇 ロシア古典篇〉、1954年。 "Игори гунки", пер. Дзиндзай Киёси. В книге: "Сэкай бунгаку дзэнсю, дай ни-ки, дай нидзю нана-маки, котэнхэн, росиа котэнхэн" ("Полное собрание мировой литературы, 2-е издание, том 27, Собрание письменных памятников, Собрание русских письменных памятников"). Кавадэ сёбо: 1954 г.
- 1. 1. はらからよ、かのイーゴリの、
スヴャトスラーフが子イーゴリの
傷ましの戰〈いくさ〉がたりは、
上〈かみ〉つ代の言葉もて
いかめしく語るぞふさはしき! - 2. さはれ、われらはこの歌を
今の世の語りぶりもて始めん、
ボヤーンのひそみには倣〈なら〉はずに。 - 3. さても神智の譽れ高い詩人〈うたびと〉ボヤーン、————
ひとの讚〈ほ〉め歌うたはうとすれば、
詩想〈おもひ〉はたちまち十方世界に馳せて、
栗鼠かとばかり木梢〈こぬれ〉を攀ぢ、
灰色の狼さながら大地を走り、
濡羽色〈ぬれはいろ〉なす鷲のごと雲井に舞ふ。 - 4. 遠つ世の戰〈いくさ〉のかずかずをも
よく諳〈そら〉んじゐたる詩人〈うたびと〉ポヤーン!
そも、その頃のしきたりと言はば、
十羽〈とは〉の鷹をば一せいに
群〈むれ〉なす白鳥の上へ放つて、
まつ先に白鳥をとらへた鷹のあるじが
讚〈ほ〉め歌の口火を切るが習ひ。
老ひたるヤロスラーフの讚〈ほ〉め歌や、
カソーグの戰に先だつて
レデーヂャを斬って棄てたる勇士〈つはもの〉
ムスチスラーフの讚〈ほ〉め歌や、
あるはまた、スヴャトスラーフが子
美丈夫ロマーンの稱〈たた〉へ歌。 - 5. されど、はらからよ、わがボヤーンは
十羽〈とは〉の鷹をば群なす白鳥の上へ
放ちやる間もあらばこそ。
神智みつる十〈とを〉の指、おもむろに
生〈いのち〉ある小琴の絃〈いと〉に觸るればすなはち
絃〈げん〉おのづから調べを成して
かの公〈きみ〉、この侯〈きみ〉を讚〈ほ〉めたたへたる! - 6. はらからよ、いでや始めん、
古りしヴラヂーミルの代〈よ〉より
今の世のイーゴリまでの物語を。
そもイーゴリといふ公〈きみ〉は
勇氣あまつて分別を越え、
雄心〈をごころ〉に胸は燃えたち、 - 7. 擊たではやまぬ一心から
猛〈たけ〉き軍勢を引具して
ロシヤの國の境を越えて————
ポー口ヴェツの地へ攻め入つたる! - 8. ・・・・・・そのときイーゴリ
黑ずめる日ざしを仰ぎ、
軍兵の胸また、日〈ひ〉の蝕〈はゑ〉さながら
影りわたるを見て、 - 9. 軍勢に呼ばはり吿ぐるやう、————
- 10. 「つはものよ、親兵のともがらよ!
生きて虜囚の恥を忍ばうより、
斬り死〈じ〉にに死ぬこそ武門の面目! - 11. いでや者ども、荒駒に鞭打つて、
ドンの青流〈せいりゆう〉をこの眼で見ようぞ!」 - 12. ドンの大河に見參せん一心に
公は身も心も燃え立つて、————
天變もはや、物の數ならず! - 13. 「わが槍を、ポーロヴェツの曠野に
折るも碎くも天意のままぞ!
一命を、かしこの野邊に落すも、
ロシヤびとよ、汝〈なんぢ〉らとともに、————
ドンの水をば兜に汲んで
喉〈のんど〉うるほすも、汝〈なんぢ〉らとともに!」 - 14. あはれボヤーン!
上〈かみ〉つ代の歌ひ手よ、妙なる鶯よ!
もし汝、讚〈ほ〉め言〈ごと〉をもて心の木を攀ぢ、
さとき智慧もて雲井を翔〈かけ〉り、
今の世のため壽詞〈よごと〉を編みつつ、
トラヤヌスの軍道〈いくさみち〉を まつしぐらに
野こえ山こえ馳せ行きつつ、 - 15. この公〈きみ〉の戰〈いくさ〉のさまを歌ひしならば、————
オーグの孫、イーゴリがため、
かくも歌ひ初〈そ〉めしならん。———— - 16. 「嵐に追はれて曠野〈あらの〉を渡る
群なす鷹か、————あらずして
これぞ、ガリツィヤの軍勢が
ドンの大河をめざすなる!.....」 - 17. さらずば、汝、ヴェーレス神が孫、
神智みてる詩人〈うたびと〉ボヤーンよ、汝〈なれ〉はまた
かくも歌ひ繼ぎたらん。———— - 18. 「駒ははや、スーラの彼岸に嘶〈いなな〉き、
公が名は、キーエフの都にとどろく。
角笛はノーヴゴロドの空に勝利を吿げ、
王師は、プチーヴリの町にあり!.....」
イーゴリが待つ間ほどなく、 いとしの弟フセーヴォロドは着到する。 - 19. 荒牛の名にし負ふフセーヴォロドが、
兄なる公〈きみ〉に吿げて言ふやう、———— - 20. 「ただひとりなる兄君よ、
唯ひとり、わが慕ひ崇むる汝〈なれ〉イーゴリよ!
われら、ふたりながら
スヴャトスラーフが血を承〈う〉けし子ぞ! - 21. いざ鞍おき給へ、君が荒馬に、————
- 22. わが駒はクールスクのほとりにて、はや
鞍の裝ひととのひたるぞ! - 23. われら、クールスクの郞黨は、
君も知り給ふべし、荒武者ぞろひ!
ラッパの音〈ね〉につれて襁褓〈むつき〉を着け、
甲胄の嗚るもとに乳を飮み、
槍の穗先もて物食はされし强者〈つはもの〉どもぞ! - 24. 道の案內〈あない〉は知らぬ隈なく、
谷の小徑もよく知ったり。
弓はすでに新月と張られ、
矢筒の口は解いて放たれ、
太刀は硏がれて氷のごとし! - 25. 荒野を馳する灰いろ狼さながら
者みな、おのがじし競〈きほ〉ひ立つて、
われこそ先陣の功名たてて、
公〈きみ〉が名を揚げんと、逸りに逸る!」 - 26. かくてイーゴリの公〈きみ〉は
黄金のあぶみに雙足〈もろあし〉ふんばり
曠野〈ひろの〉をさして出陣する。 - 27. 日の蝕〈はゑ〉は、なほ黑ぐろと
公〈きみ〉の行手をさへぎり隱し、 - 28. 夜〈よ〉は雷〈いかづち〉を、公が頭上にはためかせて、
群鳥〈むらどり〉の玉の緖を絕つ!
醜〈しこ〉の夷〈ゑびす〉は、どよめき立ちぬ、———— - 29. けものめく雄〈を〉たけびを揚げ、
木末〈りぬれ〉に攀ぢ、のどを限りに、
涯〈はて〉しらぬ國の涯より
夷〈ゑびす〉は味方の勢を呼ばはり集〈つど〉ふる、————
ヴォルガのほとり、黑海の磯、
スーラの岸べ、
スーロジの町、
コルスーンの地、さてはまた、
汝、チムトロカンの守神〈もりがみ〉をまで! - 30. かくて、ポ ーロヴェツ勢は
道なき道を、谷間づたひに
ドンの大河へ、いそぎ退〈ひ〉く。
夜半にきしめく兵車の音〈おと〉を、
白鳥の寢ざめの羽音と人は聞かん!
・・・・・・あらず、これやこれイーゴリが
軍兵をドンへ進むる轣轆の音〈ね〉ぞ!..... - 31. はやくも鳥は、敏〈さと〉き性〈さが〉もて、
公〈きみ〉が非運を嗅ぎ知って待てり。
はや狼も、谷間がくれに餌食を待てり。
荒鷲も喚〈をめ〉きかはして、いざ骨こそござんなれと
けものの輩〈とも〉を招き呼ぶ。
眞紅〈しんく〉の楯に愕〈おどろ〉いて狐は高啼く。 - 32. あはれ、ロシヤの地〈つち〉は遠く離〈さか〉ら、
まだ、かの丘かげに在〈あ〉るものを! - 33. 暮れなやむ南の夜〈よる〉やうやうに暗く、
- 34. 夕映えもいつしか消えて、
野もせは靄〈もや〉につつまれぬ。 - 35. うぐひすの囀〈さへず〉りはまどろみ、
小鴉〈こがらす〉のざはめきも今は杜絕〈とだ〉えぬ。 - 36. ロシヤの軍勢は、眞紅の楯を
廣野に立てめぐらして夜營する、————
あすこそは先陣の功名たてて、
公〈きみ〉が名を揚げんと、夢の間〈ま〉も忘れず! - 37. さても金曜日の朝まだき、ロシヤの勢〈ぜい〉は
ボーロヴェツの異敎徒ばらを蹴ちらして、
飛びかふ矢とばかり廣野を馳せかひ、
分捕〈ぶんど〉つたるはポーロヴェツの美〈うま〉し孃子〈をとめご〉、
あはせては、黄金〈こがね〉、練絹、
さてはまた、目も綾の朱〈あけ〉の天鵞絨〈ぴろうど〉! - 38. 母衣〈ほろ〉、皮衣〈かはごろも〉、合羽〈かつば〉そのほか、
ポーロヴェツびとの金襴衣裳は、
ぬかるみ沼地へ投げ入れ敷いて、
それもて橋をば架けわたす。 - 39. くれなゐの旗じるし、白妙の幟〈のぼり〉さし物、
緋おどしの鎧かぶとや、白銀〈しろがね〉のものの具などは、
猛〈たけ〉きイーゴリの公〈きみ〉に奉る! - 40. 荒野〈あらの〉に假寢の夢をむすぶは、
逸〈はや〉り氣の荒武者のとも、オレーグが裔〈すゑ〉。
げに遙けくも來つるものかな! - 41. この郞黨〈うから〉、この世に生まれ來〈きた〉りしは、
鷹、隼〈はやぶさ〉は言はずもがな、また汝ら
うとましきポーロヴェツが醜〈しこ〉の子どもら
黑き鴉の、餌食となって身を果つる
憂目を見んがためならじ! - 42. グザークは逃れゆく、灰色の狼のごと。
コンチャークも、われおくれじと、
ドンの大河をさして、ひたに退〈ひ〉く。 - 43. あくる日の朝まだき、
血しほの色の朝燒けは
しののめを吿げ、 - 44. 黑雲は海より押し寄せて、
四〈よつ〉の陽〈ひ〉を呑まんとする。
くろ雲をつんざいて
靑びかり稻妻は走る。 - 45. おどろしき雷霆〈いかづち〉ぞ、襲ひ來らん!
雨は、ドンの大河のほとりより、 - 46. 矢のごとく降りぞそそがん!
かくて、ポーロヴェツ勢の兜かすめて
かしこに槍はくだけ折れなん、
ここに太刀は破〈や〉れごぼれなん、
ドンの大河にほど近き
かのカーヤラの川べりに。 - 47. あはれ、ロシヤの地〈つち〉は遠く離〈さか〉りて、
はや、かの丘かげに無きものを! - 48. 颯々と矢昔を立てて、黑海〈うみ〉の方〈かた〉より、
猛〈たけ〉きイ—ゴリ勢の面〈おもて〉を吹くは、
ストリボーグが裔なる風か、あらずか。 - 49. 地はとどろに嗚りとよみ、
川ことごとく濁り流るる!
軍兵の地に滿ちたるさまは、
暗き林の曠野を蔽へるに似たらずや。 - 50. かくて軍兵は口々に言ふ、————
「すは、ポーロヴェツの勢〈ぜい〉到る!.....」
そはドンの方〈かた〉より、海の方〈かた〉より、 - 51. あなたこなたより押し寄せて
ロシヤの勢をひしと取卷く! - 52. 惡魔の子らが鯨波をあげて
廣野を寸々に引つ裂くほどに、
猛きロシヤ勢は得たりや應と、
眞紅の楯もて廣野を搔つ裂く! - 53. 陣頭に叱咤するは、これやこれ
荒牛の名にし負ふフセーヴォロド!
異敎の奴ばらに矢の雨あびせ、
郞黨の利劎は仇の兜に
丁々と嗚つて火花を散らす!..... - 54. 荒牛よ、汝が兜の金色〈こんじき〉を
きらめかせて疾驅するところ、
すなはち異敎ポーロヴェツ勢の
首級〈しるし〉は積んで山をなす! - 55. 硏ぎに硏いだる太刀のあらしに
南蠻〈アヴアール〉の兜は二つとなつて亂れ散る————
これぞ汝〈なんぢ〉が勳〈いさを〉なる、
猛き荒牛フセーヴォロド!..... - 56. 手傷は物の數ならじ!
(はらからよ、聽きたまへ)
一命も、高き位も、
チェルニーゴフの麗〈いつ〉しき町も、
父祖より傳はる黄金〈こがね〉の玉座も、
また己〈おの〉がめぐしの妃〈きさき〉
明眸皓齒のグレーボヴナも、
その愛も、はたやまた閨〈ねや〉の情〈なさ〉けも、
忘じ果てたる人の身には?! - 57. ボヤーンの歌も今は昔の名殘り草、
ヤロスラーフの卸代も遠くさかりて、
スヴャトスラーフが子オレーグの————
かのオレーグの戰〈いくさ〉のかずかずも、
その雄たけびは消えて跡なし! - 58. そも、かのオレーグは
ー劎もつて風雲を呼んで
ロシヤあまねく矢の雨を降らせたる君。 - 59. 君が黄金〈こがね〉の鎧〈あぶみ〉を踏んばり
チムトカンの町を行くや、 - 60. その威〈たけ〉き名は、ヤロスラーフが子、
遠つ代の大守フセーヴォロドも傳へ聞き、 - 61. またヴラヂーミルはチェルニーゴフの町にあつて
朝くるごとに耳を蔽ひき! - 62. 同じころ、戰〈いくさ〉の功にあこがれて、
ヴャチェスラーフが子ボリースも、
オレーグの恥すすがんと旗を擧げ、
かのカニーナの川ほとり
經〈きやう〉かたびらなす靑草に、
勇ましの若き王侯の身を横たへぬ。・・・・・・ - 63. かのカーヤラの川にはあらざりしか、————
その昔スヴャトポルクが
外勇〈しうと〉の屍〈かばね〉を拾ひとり
マヂャール勢が軍馬の間をかいくぐり、
キーエフなる聖ソフィヤ寺に隱れしは! - 64. さてもその頃
ゴリスラーブが子オレーグの代〈よ〉と言はば、
世は刈薦〈かりごも〉とみだれにみだれ、
ダージの神の裔〈すゑ〉なる民は
たつきの道を毁〈こぼ〉たれ奪はるる。
諸侯のあひだに爭ひ絕えず、
人の世も今はかうよと見えたりける。 - 65. さてもその頃、
ロシヤの國原〈くにばら〉には畠守〈も〉る農人の聲もまばらに、
野に山に軍兵の屍〈かばね〉を爭ひわかつ
灰いろ鴉〈がらす〉の聲のみ高し。
獲物をさして飛び立ちゆく
白嘴〈しろはし〉がらすの聲かまびすし。 - 66. さはれ、そは昔の戰〈いくさ〉がたり、
過ぎし代のたたかひの跡。
まこと、このたびの合戰こそは前代未聞!
夜明けより日の暮れかけて、
日の暮れより東雲〈しののめ〉かけて、
ここポーロヴェツが夷〈えびす〉の國の
名も知らぬこれの大野は、
利〈と〉き征矢〈そや〉の矢音しきりに、
兜撃〈う〉つ太刀音たえず、
突きむすぶ槍音たかし! - 67. 蹄にかくる黑き大地に
骨は播〈ま〉かれて穀粒のごとく、
血潮は灌〈そそ〉いで土をうるほす。————
そはやがてロシヤあまねく
歎きの芽をぞ吹きだしたる! - 68. 聽け、はるかの彼方、
まだ東雲〈しののめ〉に間〈ま〉あるといふに、
ざはめくは何の物音、
鳴つて響くは何の物音? - 69. これやこれ、イーゴリ公が、
浮足たつたる味方の勢〈ぜい〉に
取つて返せと呼ばはる音ぞ。
めぐしの弟フセーヴォロドを
見殺しにするに忍びず。 - 70. 戰ふこと一日〈ひとひ〉、
戰ふこと二日〈ふたひ〉、————
三日〈みつか〉目の正午〈まひる〉ちかくに
イーゴリの軍はつひに潰〈つひ〉えぬ! - 71. 公、弟君〈おとぎみ〉のはらからは
流れも早きカーヤラのほとりに
今生〈こんじやう〉の別れを遂げぬ。 - 72. かくて血潮の酒は盡きて、
- 73. さすが猛〈たけ〉しきロシヤの勢〈ぜい〉も
婚姻〈うきゆひ〉の宴〈うたげ〉を閉ぢぬ、————
鳥獸〈とりけもの〉、仲人〈なかうど〉どもを酒に飽〈あ〉かせて、
みづからはロシヤの國の牲〈にへ〉となつて
屍を荒野〈あらの〉にさらしたる! - 74. 草は悼みて伏し萎れ、
木は悲しんで枝を大地に押し垂るる! - 75. はらからよ!
まがつ年は來〈きた〉りける!————
さしものイーゴリ勢〈ぜい〉も
荒野の露と消えて跡なし! - 76. ダージの神の裔のあひだに
わざはひは魔の處女〈をとめ〉のごと、————
ひそやかに忍び入りつつ
ボヤーンの聖なる國ばら侵しつ、
かの靑海の岸邊より
ドンの大河のほとりへかけて、
白鳥の群かとばかり
凶〈まが〉つ翼をはためかす!
良き日々も今は昔の夢がたり! - 77. 異敎徒ばらを打ちひしぐ
公〈きみ〉らが軍〈いくさ〉も今はなし!
かくて、兄弟墻〈かき〉にせめぎ合ひ
「そは我が物、これも我が物!」と
口々に罵つてひしめく。
かくて公〈きみ〉たち互〈かた〉みに
大事を忘れて小事を爭ひ、
蝸牛の角〈つの〉の譬へも物かは
刈薦〈かりごも〉の國の亂れの因〈もと〉となる。 - 78. さるほどに蠻夷〈えびす〉のともは
軍鼓を鳴らし勢ひ猛〈もう〉に
四方〈よも〉よりロシヤの國に寇〈あだ〉をなす!..... - 79. あはれ、鷹よ、
遙けくも汝〈なれ〉は翔〈かけ〉りたりしよ、
群鳥〈むやとり〉を打ちつ落しつ、かの海かけて! - 80. さはれ、そのイーゴリの猛しき軍も
はや甦〈よみが〉へらする由もなし!..... - 81. かくて、カールナもジリャーも、————
をめき叫びつ
火の角〈つの〉より焰ふきつつ
ロシヤの土へ騎〈の〉り入るる。 - 82. かくてロシヤの女〈をみな〉ら
さめざめと怨じ訴ふ、———— - 83. かくて、はらからよ聽け、
キーエフは歎きに呻〈うめ〉き哀しみ、
チェルニーゴフは異敎徒ばらの鞭に泣く! - 85. 禍〈まがつび〉はロシヤの聖土に
たちまちにして擴がりたり!
敵〈かたき〉は容赦もあらばこそ
ひた押しにロシヤの國の最中〈もなか〉へ迫る! - 86. 諸公かたみに內輪の爭ひに
浮身をやつすそのひまに、 - 87. ポーロヴェツの異敎徒ばらは
ロシヤの聖土を踏みにぢる。
かくて家ごとに貂〈てん〉の毛皮一枚を
貢〈みつぎ〉の料に取り立てける!..... - 88. さるにても、ポーロヴェツのやからに
勢ひを盛り返させたるは、
ほかならぬかのスヴャトスラーフが猛しき二人の忘れがたみ————
イーゴリとフセーヴォロドには非ざりしか。
思へ、雷神〈はたたがみ〉なすキーエフの大公、
二人が父、スヴャトスラーフの君こそは、
醜〈しこ〉の夷〈えびす〉を、かのカーヤラのほとりにて、
取って鎭めしと見えたるものを! - 89. 雷霆〈いかづち〉なす威勢に仇〈あだ〉ををののかせ、
硏ぎに硏いだるその太刀もて、
練りに練つたる軍兵もて、
ボーロヴェツの地へ攻め入つて、
丘をも谷をも馬蹄にかけ、
川、湖を碧血ににごし、
早瀬や沼を乾したるものを!
また、夷〈えびす〉の長〈をさ〉コビャークをば
海の入江のほとりなる
雲霞のごときポーロヴェツが鐵の陣より、
さながら龍卷の襲ふがごとく
引つ捕へ來しも同じこの君!
かくて無慚や、かのコビャークは
キーエフの都なる
スヴャトスラーフが城に曳かるる!..... - 90. されば、ドイツ人〈びと〉も、ヴェネツィア人〈びと〉も、
ギリシア人〈びと〉も、モラヴィア人〈びと〉も、
口々にスヴャトスラーフの君を讚へ、
イーゴリの君を罵つて言ふ。————
「かの君ぞ、
ポーロヴェツの川、かのカーヤラの底に、
こごた人の命を沈めしは!
黄金〈こがね〉にも譬ふべきロシヤの軍兵あまた
かの川底に溺れ死なせしは!」 - 91. かくて、イーゴリの君は
黄金の鞍より引きおろされて、
奴僕〈ぬぼく〉の鞍に乘せられたるに異らず! - 92. かの町この町の城壁〈しろかべ〉は
むなしく黑ずんで、
笑ひさざめく聲も今なし! - 93. そのときスヴャトスラーフの君は
キーエフなる山上の高殿に
あやしの夢を見られける! - 94. 「この夜、宵のうちより」と、君は言ふ————
「松の寢臺に臥してをる俺〈わし〉に、
誰やらん、黑い掛布をかぶせ、 - 95. 黑い火絨〈ほくち〉をまぜこんだ
靑い酒をば酌〈く〉んで差した。 - 96. そして、怪〈け〉しい貝に宿るといふ
大粒の阿古屋の珠を、
矢の盡きた矢筒から出して、
さながらいたはるやうに
わしの胸へはらりと落した。 - 97. ふと氣づいてみれば————
金色〈こんじき〉の 頂〈いただき〉映ゆるわしの居城の
屋根に棟木がないではないか!..... - 98. 夜をこめて、宵のうちから、
黑がらすの啼く聲のみしげく・・・・・・ - 99. やがてプレースネンスクのほとりを、川沿ひに、
葬〈ほふ〉りの橇が過ぎて行つたぞ、————
靑海の方〈かた〉へ曳かれて行つたぞ。」 - 100. 卿〈きみ〉たちが、大君に答ふるやう、————
- 101. 「大君よ、われらはや悲しみに胸も心もふたぎたり!
- 102. 思へば雄々しき二羽の鷹
黄金なす父祖〈みをや〉の玉座より翔りゆきぬ————
チムトカンの城をば落し、
兜もてドンの水をば飮み乾さんとて!
さはれ、その二羽の鷹も、
ポーロヴェツ勢の劔〈つるぎ〉にかかつて
むざんや雙〈もろ〉の翼をそぎ落され、
その身は黑鐵〈くろがね〉のくさりもて
縛められておはすべし!」 - 103. かくて三日目、世は常闇〈とこやみ〉にとざされたり!
これぞ二つの太陽が暗みたるなる、
ふた本〈もと〉の炎の柱が消え失せしなる、————
オレーグとスヴャトスラーフと
二つの新月を冥府〈よみ〉の道づれに。 - 104. 闇が光を蔽ひかくせしは
かのカーヤラの川邊か、あらぬか。 - 105. この一族〈うから〉、闇に誘なひ引かされて、
さながら豹の一族〈うから〉のごとく
海原の藻くづと消えて、
夷〈えびす〉の汗〈ハン〉の一族郞黨、あたり狹しと
主人顏〈あるじがほ〉してのし步く! - 106. みるみるロシヤの國原に
ポーロヴェツの輩〈やから〉ぞはびこり滿つる!
善言おとろへて
惡言いやましに榮え、 - 107. 自由は地を拂つて
虜囚の鎖いたづらに重く、 - 108. 夷の族〈うから〉どつとばかり
ロシヤの聖土へなだれ入る。 - 109. かくて早や、ゴートの美〈うま〉し娘子〈をとめ〉ら
靑海の岸邊につどひ
ロシヤの黃金〈こがね〉飾りを打嗚らしつつ
昔の榮〈はえ〉をば讚へうたふ!
ボーズの敗れし昔を偲び、
シャルハーンの讐〈あだ〉打つたりとさざめき交す。 - 110. さるを、はらからよ、われら唯、
空しく悅びに飢ゑ渴くのみ!..... - 111. 奇しもあれ、
大公〈おほきみ〉スヴャトスラーフが淚ながらに、
黄金〈こがね〉の御言〈みこと〉のらせ給ふやう———— - 112. 「あはれ、わが子らよ!
イーゴリ、またフセーヴォ口ドよ!
汝だち雄々しくも一劎もつて
ポーロヴェツの地〈つち〉を切り從へ
天晴れ武名を揚げんと思ひ立ちしも、
時に適〈あ〉はざりしこそ口惜〈くちを〉しけれ!
汝〈なん〉だちが勝に乘じたも血氣のあやまち、
異敎徒ばらの血を流したも徒〈いたづ〉ら事〈ごと〉ぞ!..... - 113. 汝〈なん〉だちの荒膽こそは
猛火〈みやうくわ〉のうちに鍛へに鍛へ、
剛毅の炎に打ちに打つたる天晴れの寶。 - 114. この父の白髮に泥〈ひぢ〉を塗つたる
無慙のわざにてありしよな?! - 115. 賴む家弟〈いろと〉のヤロスラーフさへ
ふたたび相見る由もない。
ああ、勁〈つよ〉く威〈たけ〉しく、富み榮え、
萬騎の兵を蓄へた彼ヤロスラーフ、————
むかし勢威を誇つたチェルニーゴフの族〈うから〉や、
タートランの族、オリべールの族、
トールキの族、さてはまたレヴーグの族なんど
手勢に引具した彼ヤロスラーフ。
その戰ふや楯をも持たず、
長沓〈ながぐつ〉の胴にひそめた匕首ーふり、
鯨波をもつて敵車をひしいで、
父祖の譽れを轟かせたのも、————
今は返らぬ昔語りぞ!」 - 116. さるを汝〈なん〉だち、逸〈はや〉り氣にまかせて、
「いでや、この身のカためさん————
明日〈あす〉の榮〈はえ〉をば腕づくで奪〈と〉つて
父祖に劣らぬ功名あげん!」と
言ふより早く打つて出たるは、 - 117. そもさん、老ひの身に若さが立返る
ことに不思議のあるべきや?! - 118. 老ひ鷹もーたび英氣を養へば
雲井に翔つて群鳥〈むらとり〉を追つ散らし、
なんでわが一族〈うから〉に死恥かかせようぞ! - 119. 諸公も早や、われを援くる力なし!
- 120. さはれ、時すでに遲し、
- 121. かの叫びはりモフのほとりには非ざるか、
ポーロヴェツの劔〈つるぎ〉のもとに立つる叫びは?!
ヴラヂーミル公〈きみ〉も傷手に呻く! - 122. あはれ、武運つたなきグレーブが子よ!
- 123. さるにても大き公〈きみ〉フセーヴォロド!
いま君は如何に遙けき里にいますとも、
父祖〈みをや〉の黄金なす玉座〈みくら〉を護らんがため
いそぎ翔り來りたまはぬか!..... - 124. さすれば君、ヴォルガの水を
軍兵の櫂もて飛沫〈しぶ〉かせ給ふべきに、
ドンの流れを、兜に汲んで乾し給ふべきに! - 125. ああ、もし君だに到り給はば、
女〈め〉の奴隸は金一ひらもて
をとこ奴隸は銀一ひらもて
市〈いち〉にひさぐを得たりしものを! - 126. けだし君、グレーブの猛しき子らを
さながら生ける征矢〈そや〉として、
陸路〈くがぢ〉くまなく放ち給ふべければ! - 127. また汝、毅〈たけ〉しきリューリク!
はた汝、雄々しきダヴイドよ!
仇の流せし血潮の海に
黄金の兜の緖までひたして
進みし軍勢は汝〈なん〉だちの兵には非ざりしか?!..... - 128. 名も知らぬ荒野のはてに、
利〈と〉き劔〈つるぎ〉もて手傷を負ひし荒牛のごと
吼えたけりしは、ほかならぬ
汝〈なん〉だちの猛〈たけ〉き手勢に非ざりしか! - 129. いでや、公〈きみ〉たち、
黄金〈こがね〉の鐙〈あぶみ〉を踏んばつて、
ごの度〈たび〉の恥を雪〈すす〉ぎ給はずや!
聖なるロシヤの榮〈はえ〉のため、
スヴャトスラーフの猛しき子
かのイーゴリが手傷のため! - 130. また、「八念の君〈オスモムイスル〉」と謳はるる
ガリツィアの公〈きみ〉ヤロスラーフよ!
黄金づくりの高御座〈たかみくら〉に
いと高く座したまふ君よ!
雲の彼方に稜威〈みいつ〉をふるひ、
ドナウの口まで舟軍〈いくさ〉を進めつ、
マヂャールの王〈きみ〉の行手を防ぎ
ドナウの河の門〈かど〉をばふさぎ、
黑金〈くろがね〉なす軍兵をもて
カルパチアの山を守りし君よ! - 131. 君が威光は國々にあまねく、
キーエフの城戶〈きど〉をも押し開く!
君、金色〈こんじき〉の高御座より
海山へだつる異土の王々〈きみぎみ〉に矢を放つ! - 132. いでや君、射ち給はずや、コンチャーク
邪敎を奉ずるコシチェイを、――――
聖なるロシヤの榮〈はえ〉のため、
スヴャトスラーフの猛しき一子
かのイーゴリが手傷のため! - 133. また汝、毅きロマーンよ、
はた汝、ムスチスラーフよ!
雄々しき念〈おも〉ひはーすぢに
汝〈なん〉だちの心を戰〈いくさ〉へ驅り立つる! - 134. 餌食の鳥を仕止めんものと
風に乘じて舞ひくだる
猛しき鷹か、汝〈なれ〉ロマーン、
眼〈まな〉じりを裂き、狂ひたけつて
戰さの場〈には〉へ天がける! - 135. ラテン渡りの兜のもとに
黑金〈くろがね〉の肩當いかめしく
よろへるはこれ汝〈なん〉だちには非ざりしか?!
その甲胄に大地はとどろき、
夷〈えびす〉の國ぐに————ヒノヴァも、リトヴァも、
ヤトヴャーギも、デレメーラも、
さてはポーロヴェツのやからさへ、
汝〈なん〉だちの利〈と〉き太刀風に
槍を打伏せ、しほたれたる! - 136. さはれ、今ははや、公〈きみ〉たちよ、
イーゴリの日かげは消えぬ!
まがつ魔風にさそはれて
木の葉も散りぬ! - 137. かくてイーゴリが勇ましの軍勢を
また甦〈よみが〉へらする由もなし!..... - 138. 聽かずや、公〈きみ〉たち、
ドンが呼びかくるかの聲を、
いざ鬪へと諸公を招くかの聲を! - 139. オレーグが裔なる雄々しき公〈きみ〉たち、————
戰ひに逸りに逸る公たちよ!..... - 140. はた汝、イングヴァリよ、フセーヴォ口ドよ、
またムスチスラーフが三人〈みたり〉の公達〈きんだち〉よ!
おんみらも賤しからぬ巢に生〈あ〉れし若鷹なるを!
さるを、むざんや、天魔にみいられ
イーゴリが領國を奪ひとりしに非ざるか?!
ローシの河べ、はたやスーラの河べなる
町々を分ちあひしにあらざるか?! - 141. おんみらの黄金の兜、
異國わたりの長槍〈ながやり〉、眞紅の楯はそも何の爲ぞ?! - 142. いざ、 おんみらがするどき征矢〈そや〉もて
異敎徒さへぎる關の戶たてよ――――
聖なるシヤの榮〈はえ〉のため、
スヴャトスラーフの猛しき一子
かのイーゴリが手傷のため! - 143. ペレヤスラーヴリの町をさす
スーラの河の流れも、はや
むかしの白銀いろならず!
風清はおなじ、ドヴィナの河も、
しこの夷〈えびす〉の雄たけびがもと
今ははや濁り江と鈍〈ね〉びよどんで、
むかし天下にとどろきし
ポローツクさして流れゆく! - 144. なかにただ一人、イジャスラーフ、
ヴァシーリコが子イジャスラーフのみ
あはやその利き太刀風に
リトヴァが勢の兜をば
打つて割らんとしたるも夢、
カおよばず、祖父フセスラーフが名を
けがし恥かしめたるのみか、
みづからも血潮にそみし草の上、
猩々緋なす楯のもと
リトヴァの勢〈ぜい〉が劔に裂かれて
あたら若き身を、墓に橫たへたる!..... - 145. されば詩〈うた〉びとボヤーンは歌ふ、――――
- 146. 「公〈きみ〉よ!なんぢが軍勢は
野の鳥のつばさを死出の衣に
けものの口に生血すはれぬ!」 - 147. そのとき弟ブリャチスラーフも、
また次の弟フセスラーフも
ともにその場に姿なく、
おんみのみぞ、ただ一人
阿古屋の珠にもたぐへん御魂〈みたま〉を
黄金の頸飾りもせきあへず、
たけしき身よりとり落したる!..... - 148. くに民のこゑ力なし!
遊樂の宴〈えん〉もあらけて、
グロドノにラッパの音〈ね〉のみ
死者とむらひて鳴りわたる! - 149. ヤロスラーフよ!
はたや、フセスラフが孫の誰かれ!
今はとて御身らが旗を垂れ伏せ、
折れたる劎〈つるぎ〉もて土を掘れかし! - 150. けだし父祖が譽れの數々
今は御身がものにあらねば! - 151. 思へ、御身ら、かたみに爭ひ叛きしは、
異敎徒ばらの手引きをして
聖なるロシヤの土〈つち〉へ、
フセスラーフが生まれし鄕〈さと〉へ
攻め入らさする助けなりける。 - 152. 思へ、御身ら、かきに相せめぎしは、
ポーロヴェツが邪敎の笞〈しもと〉を
招くよすがにありけるよ!
さても、ボヤーンの頃なりしか、 - 153. フセスラーフの公が
美〈うま〉し處女子〈をとめご〉を得んものと
天にまかせて籤を引きしは。 - 154. 妖しき術の力にたより
かのフセスラーフはキーエフの町を
ーもみにもんで落して、
古き都の黄金〈こがね〉の玉座〈みくち〉を
槍先するどに、つんざいたる!
さるを忽ち、町をも玉座をも捨て、
血に狂ふ獸もさながら躍り出〈で〉たるよ! - 155. 夜半〈よは〉のころ――――べラグラードより
あを雲にまたがり翔りつ、―――― - 156. 朝まだき大斧と身を化〈な〉して
ノーヴゴロドの城門〈きど〉うち破り、
ヤロスラーフが譽れを微塵に碎いたる! - 157. かくて飢ゑたる豺狼とばかり
ドゥドゥトークよりネミーガを襲ふ!
あはれ、かのネミーガの河べ、
うち敷くは穀束ならず、みな人の首!
穗を打つは、はがねの連枷〈からさを〉!
穀打ち場に積むは、人の玉の緖!
簸〈ひ〉にかけて吹き分くるは、人の身と魂〈たま〉! - 158. 朱〈あけ〉にそむネミーガの岸べ、
まかれしは小麥ならず、大麥ならず――――
播かれしはこれ、ロシヤの兒らが骨また骨! - 159. かくて、フセスラーフの公〈きみ〉
きびしき裁きの場〈には〉を設け、
町々を諸公にわかち取らせしが、――――
みづからは、夜半ともなれば
狼と身をなして、走せめぐる。
キーエフの都を拔け出でて、鷄の群を追ひつつ、
チムトロカンの鄕へ躍り入る!
天〈あま〉わたる日〈ひ〉の果〈は〉てまでも、
さすがは狼、道なき道を走〈は〉せ通ふ! - 160. 朝まだき、ポローツクなる
聖ソフィヤ寺の鐘
朝の禱りの時を吿ぐれば、
公〈きみ〉は早くもキーエフにあつて、そをば聞く! - 161. その魂は妖術にとざされ、
現身〈うつそみ〉も變幻、一〈いつ〉にとどまらねど、――――
武連しばしば、つたなかりしよ! - 162. 聞かずや、その昔、
心眼炬〈きよ〉のごとき詩人〈うたびと〉ボヤーン、
この公を豫言して、かく歌へりしを。―――― - 163. 「よしや妖術に長ずるも、羅刹に似るも、
天がけること飛鳥をしのぐも、
神の裁きをのがるる由なし!」 - 164. あはれ、ロシヤの國土〈くにつち〉よ、
古き代のことを偲びて
ありし日の公〈きみ〉ら慕ひて
汝〈なれ〉がつたなき連命に哭け! - 165. 古へのかのヴラヂーミルを
キーエフの山々の鎭〈しづ〉めとして、
とどめん術〈すべ〉はなきものを!
むざんやな! - 166. 古公の軍も今ははや、
こなたはリューリクがた、
かなたはダヴイドがたと離れたる!
旗じるしは敵味方に分れてなびき、 - 167. 軍兵の歌ごゑも二つに裂けぬ!
- 168. ドナウの岸べに漂ひくるは
かのヤロスラーヴナの聲にやあらん。
人しれぬ杜鵑〈ほととぎず〉のごと
しののめにむせび啼くなる。 - 169. 「われ、ほととぎすと身をなして
ドナウの河をかけり行かん、―――― - 170. 海狸〈かいり〉の袖を流れにひたさん。
かくて、かのカーヤラのほとり、 - 171. 背の公〈きみ〉の八つ裂きのむくろに殘る
血しほ吹く傷をのごはん!」 - 172. 朝まだき、プチーヴリの城の挾間〈はざま〉に、
むせびつつ、ヤロスラーヴナは呼ぶ。 - 173. 「あはれ、風よ、空ゆく風よ!
言いねかし、いかなれば汝〈なれ〉、
さは情〈つれ〉なくも吹きつのりし? - 174. いかなれば汝、たゆまぬ翼にのせて、
ポーロヴェツが醜〈しこ〉の矢あまた
味方の勢〈ぜい〉に射〈い〉かけたる?! - 175. 靑海〈あをうみ〉をゆく船をあやしつ?!
汝〈な〉が吹く場〈には〉は
雲井のもとにかくも廣きを?! - 176. いかなれば、あはれ風よ、
わが悅びと幸ひを草のまにまに吹き散らしたる?!」 - 177. 朝まだき、プチーヴリの城の挾間〈はざま〉に、
むせびつつ、ヤロスラーヴナは呼ぶ。 - 178. 「あはれ、音に聞くドネープルの河よ!
おんみは岩山をこごた貫き
ポーロヴェツの地〈つち〉を流るる
かのスヴャトスラーフが兵船を
流れて乘せてあやしつつ、 - 179. コビャーク討つ戰ひに送りしは
おんみが水にはあらざりしか? - 180. さらば返しね、汝〈なれ〉がやさしき流れに乘せて、
わが背子〈せこ〉をわがふところに!
朝ごとに亡き背〈せ〉しのびて
淚を海へながすも甲斐なし!.....」 - 181. 朝まだき、プチーヴリの城の挾間〈はざま〉に、
むせびつつ、ヤロスラーヴナは呼ぶ。 - 182. 「あはれ、照る日よ、押し照る日かげよ!
人皆をあたため醉はする大き日かげよ! - 183. いかなれば汝〈なれ〉、光の征矢〈そや〉を
味方の勢に、むごく注ぎし?!
水涸〈か〉れし荒野〈あろの〉のさなか、
弓弦〈ゆづる〉は渴きて鳴りをやめ、
矢筒は盡きて血を吐きしを!」 - 184. 夜半〈よは〉ばかり、海は荒れ立ち、
黑雲なして闇は寄せくる。――――
これやこれ大き御神〈みかみ〉が、イーゴリ公に、
ポーロヴェツの地〈つち〉をのがれて
聖なるロシヤの故鄕〈づるさと〉の
父祖より傳はる黄金の玉座へ
歸る道をば敎へたまふに非ざるか?..... - 185. 夕映えの光も消えぬ。
眠れるか、イーゴリは?いな、目ざめたり。
イーゴリは心のうちに、
大いなるドンの水より
ドネーツの小〈ち〉さき流れへ
うち續く野の廣さをば押し測る。 - 186. 夜のくだち、馬蹄の響き、
オヴルールぞ川向ふより
一聲するどく呼子を吹きぬ、――――
「いざ時ぞ、イーゴリの公!」
この心をば悟れとばかり。 - 187. 馬を叱陀して大地を蹴れば、
草むらはざはめき亂るる。.....
追ひすがるポーロヴェツ勢の車も
今やうやうに遠ざかり、 - 188. イーゴリ公は、ひた馳〈ば〉せに馳〈は〉する、――――
貂〈てん〉のごと蘆間くぐりつ、
鴨のごと水にかづきつ! - 189. 早駒の背に身を伏すかとすれば、
たちまちに灰色の狼さながら
ひらりと馬より跳びおりつ、 - 190. ドネーツの草原さして
雲井をかける鷹とばかりに突きはしる。
朝餉〈あさげ〉にも、
晝餉にも、
また夕餉にも、
雁、白鳥を射落し啖〈くら〉ふ。 - 191. イーゴリが、雲井をかける鷹ならば、
かのオヴルールが疾驅するさまは
凍れる露に跡をとどむる
狼にもやふべき!
さしもの駿馬〈しゆんめ〉も二つながら、
泡を嚙んでぞ仆れたる! - 192. 時にドネーツの河、語るやう、――――
- 193. 「おお、なんぢ、イーゴリの公〈きみ〉!
汝〈なれ〉には大いなる榮〈は〉えあらん、
コンチャークは、おのが非運を歎き、
ロシヤの地〈つち〉に、よろこびは立ち歸らん!」 - 194. イーゴリの答へけるやう、――――
- 195. 「めぐし、汝〈なれ〉、ドンの息子よ!
この公を波間に乘せて
いたはりし汝〈なれ〉に榮えありなん。
銀〈しろがね〉の汝〈なれ〉が岸べに
みどりなす衾〈ふすま〉しきのべ、
靑垣の樹々のかげなる
あたたかき靄のころもに、―――― - 196. 水に搖るる鴨もさながら、
流れに浮ぶ雁もさながら、
風に舞ふ鷗さながら
公〈きみ〉が身を守り愛〈め〉でにし
汝〈なれ〉に榮〈さか〉えはありぬべし。」 - 197. イーゴリが言葉を繼ぎて、言ひけるは、――――
「されど、ストゥグナの川は然らず。
仇しの波をひそめしこの川、
あまたの支流〈ゑだ〉、小流れを吞みたるばかりか、
さる公達をも顎〈あぎと〉に吞みぬ。
吞みたるは、よそ人ならじ、
ロスチスラーフの若君ぞ!..... - 198. .....恨みは深きドネープルの畔り
ロスチスラーフの母君は、
若き公〈きみ〉ロスチスラーフを偲びて泣く。 - 199. 花は歎きに枯れ凋み、
樹々は愁ひて地に伏したり!」 - 200. 聞ゆるは鵲〈かささぎ〉の鳴く音か、あらず、――――
イーゴリのあとをば追ひて
グザーク、コンチャーク、二人〈ふたり〉の汗〈ハン〉が
馬いそがする物音ぞ! - 201. 時に大鴉〈おほからす〉は啼く音〈ね〉をやめ、
小烏〈こがらす〉もはたと默〈もだ〉して、
鵲また囀りをとどめ、―――― - 202. 蛇〈くちなは〉のみぞ這ひざはめける!
啄木鳥はその嘴音〈はしおと〉もて
河に到る道をば敎へ、
小夜鶯は嬉しげに歌ひて
あかつきの近きを吿ぐる。..... - 203. その時グザーク、コンチャークに言ふやう。――――
- 204. 「かの鷹もし、おのが巢へ舞ひ戾りなば、
殘るかの鷹の子を
われらが黄金〈こがね〉の矢もて射ち殺さうぞ!」 - 205. コンチャークが、グザークに答へけるやう。――――
- 206. 「かの鷹もし、おのが巢へ舞ひ戾りなば、
うまし處女子〈をとめご〉の情けのきづなに
かの鷹の子をつなぎとめうぞ!」 - 207. グザークまた、コンチャークに言ふやう。――――
- 208. 「もしわれら、うまじ處女子〈をとめご〉の情けもて
かの鷹の子をつなぎとめなば、――――
やがて鷹の子もわれらを逃れ、
處女子も姿を消さん!
かくてその時、ポーロヴェツの野に
われら群鳥〈むらどり〉の襲ふところとならん!」 - 209. ヤロスラーフ、オレーグを始め
もろもろの公〈きみ〉に愛でられし詩人〈うたびと〉、
上〈かみ〉つ代のめでたき歌ひ手
かのボヤーンは、曾て歌ひぬ、――――
さながらにスヴャトスラーフが子の
征旅〈いくさ〉に事よせたるがごと。 - 210. 「もろ肩うせし首も辛〈つら〉けれ、
首のなき骸〈むくろ〉も哀れ!」
これやこれ、イーゴリなきロシヤの國ぞ! - 211. さはれ今、空たかく日かげ押し照り、
公〈きみ〉イーゴリをロシヤは迎ふ! - 212. 處女〈をとめ〉らがドナウの岸に
立ちならし歌ふうたごゑ
海をこえキーエフに響く! - 213. かくてイーゴリは、「塔〈あららぎ〉」の名にし負ふ
聖母の御寺〈みてら〉に詣でんと
ボリチョーフの坂に馬を打たする。 - 214. 浦々は慶び祝ひ、
町々は笑ひさざめく!...... - 215. 年ふりし公たちの讚め歌は數々あれば、
今われら若き公たちのほぎ歌うたはん。 - 216. スヴャトスラーフが子イーゴリに榮えあれ!
荒牛の名にし負ふフセーヴォロドに榮えあれ!
イーゴリが子ヴラヂーミルに榮えあれ! - 217. キリストの敎へ守る國たみのため
異敎のともがらに討つてかかりし - 218. 公〈きみ〉たち、ますらをの伴〈とも〉、
健やかにませ!
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Орехов Б. В. Параллельный корпус переводов «Слова о полку Игореве»: итоги и перспективы // Национальный корпус русского языка: 2006—2008. Новые результаты и перспективы. — СПб.: Нестор-История, 2009. — С. 462—473.